※この記事は、筆者本人による医療体験記です。治療や診断は必ず医師にご相談ください。
クローン病と診断を受けてから退院まで
家族の変化
クローン病と診断を受け、自分の中でもイロイロ変化がありましたが、一番変化があったのが母でした。
自分の子供のことなので、本人以上に不安だったり、心配したりしたと思います。
私が入院中に、親兄弟や親戚、友人知人にまで電話をかけまくり、クローン病に詳しい医師を探し始めていました。
思ったら即行動、後から報告で問題無しって考えの人なので、私に相談無く話は進んでいっていました。
退院
1999年末、検査も全て終わり、投薬などの治療はしていないけれど、下血や腹痛もなく、血液検査の値なども正常値に近づいたことから、退院になりました。
2000年を病院で迎えると思っていたので、嬉しかったのを覚えています。
7日間ほどでの入院でした。
退院時に、貧血を治すために鉄剤を処方してもらいました。
この時に渡された書類にも、セカンドオピニオンを勧める文章がありました。
クローン病と診断してくださった総合病院の医師は、地元の国立大学の方で、難しい話でも分かるように噛み砕いて話してくださる方でした。
医師との相性が良かったと感じていたため、通院するならこの病院がいいなと、何となく思っていました。
退院した後の慌ただしい生活
12月の1ヶ月間はバタバタしていましたので、一旦少し落ち着いてから、セカンドオピニオンとして、地元の国立の大学病院へ行くか、東京の大学病院へ行こうと思っていました。
家族と話し合った結果、しばらく病気と向き合うことに専念することになり、実家に戻ることになりました。
手続きのラッシュ
退院後すぐの、2000年1月もバタバタしていました。
- 退職手続き
- 傷病手当の延長手続き
- 指定難病医療費助成の申請手続き
- 一人暮らしの部屋の撤去(引っ越し)
- 転出及び転入届けなどの手続き
- 役所・ハローワークなどへの問い合わせ
- 12月で2度も入院し、音信不通になっていた友人に連絡
- その他
退職などもあり、手続きだらけで、退院したばっかりなのに忙しくしていました。
体調も優れず、ちょっとずつ進めていました。
そんなある日、母から話があると言われました。
母が勝手に決めていたセカンドオピニオン先
母から、この病院へ〇〇日に行きなさいと、いきなり告げられました。
年末の入院中から、クローン病に詳しそうな医師を探していたと説明がありました。
しかし、事前に何の相談もなく決まってしまったので、ちょっと待ってほしいと伝えましたが、先方も忙しいなか予定を作ってくれた、私も必死だった、文句言わずに行きなさい。ということでした。
よく電話しているなと思っていましたが、病気や病院の話を家族でしていても、そんな話は出さなかったので、完全に油断していました。
そういえば、いつも勝手に進めて決め、反対すれば怒る性格でした。
行けと言われた病院は、高校生の時に行ったことのある、「学校行きたくないだけじゃない?」と言われた病院です。
自分と合うはずがありませんし、すぐに医師を信頼できないと思いました。
父と説得を試みましたが、紹介してくれた知人や自分の面子を潰すのかと、鬼の形相でしたし、行けば満足して終わるだろうと思い、急遽セカンドオピニオンに行くことが決まりました。
合わなかったセカンドオピニオン先の病院
母の知人が紹介してくれた医師は、その病院で偉い人(役職を書くと身バレするので書けません)でした。
年末の病院と同じ検査をした結果、クローン病だと診断されました。
1ヶ月以内に、同じ検査を2回して、精神的にも体力的にも大変でした。
ステロイドを使用した治療を行っていました。
身バレするので詳しく書けませんが、その紹介医師と相性が凄く悪く、治療の途中で退院しました。
入院中の主治医の回診と、紹介医師の回診を待つ必要がありました。
また、主治医から入院初期にあった治療方針の内容も、途中から紹介医師の治療方針へ変更されました。
そのうえで、話し方が私には馴れ馴れしく、時には高圧的に感じられ、患者として安心して相談できる雰囲気ではありませんでした。結果として信頼関係を築くことができませんでした。
病院の偉い人なので、看護師も態度が普通じゃなかったり、4人部屋で1人だけ偉い医師が来るので、他の患者や家族からヒソヒソされたりで、入院中はずっとストレスでした。
主治医も、偉い先生に気を使って大変だったそうです。
また、地元の病院だったため、中学の後輩が担当の看護師になったり、病室を出入りする医師が、同級生の親戚だったりしました。
それが平気な方と、私みたいに嫌なタイプがいます。
いろいろな面が合わない病院でした。
母の知人が紹介してくれた医師に、いろいろあってストレスだから退院させてくれと話しました。
理由を遠慮して話しても理解してくれず、最後はお互いに喧嘩みたいになってしまいましたが、なんとか退院できました。
ステロイドをつかった治療を行っていった為、1ヶ月分のステロイドを処方してもらいました。
病院選びは難しいと実感
母の善意が先走った結果、思わぬ方向に進んでしまいました。
その病院へ行かない選択肢もありましたが、知人に迷惑をかけているので、行くしかないのかもと思ってしまいました。
結果、さらに迷惑をかけたわけですが。
母も紹介の医師と話した後、あの人の態度なに?って怒っていました。
それが入院中ずっとだよと伝えると、暴走してごめんと謝罪がありました。
医師と患者も人と人です。合う合わないはあります。
治療の方針も、合う合わないはあると思います。
知人に、説明と謝罪をしましたが大変でした。
医師を紹介してくれと頼むのは、リスクはあると感じました。
次の病院は自分で決めた
退院前に、セカンドオピニオンの主治医と、次の病院をどうするか話し合いました。
1999年の年末に入院していた病院と、知人の紹介してくれた医師に、ちょっとした繋がりがあったらしく、戻るより違う病院のほうが良いと話してくれました。
お勧めの病院を教えていくださいましたが、年末に行こうと考えていた、地元と東京の大学病院の名前をあげると、行きたい病院あったんですね、東京の大学病院なら知り合いの医師がいますよとのことで、そこへの紹介状を書いてもらいました。
とりあえず、自分の病気だし、自分で行きたいと思った病院へ行ってみようと思い、その通りにしました。
現在通院の大学病院と出会う
大学病院の先生は、話しやすく、分かりやすく説明をしていただき、大変好感触でした。
3月に外来を初めて受診した時に、12月と1月にこんなに検査して大変でしたね。当院では落ち着いてからにしましょうねと、患者の立場で考えて下さいました。
大学病院のシステムも教えていただきましたし、病気に関する論文を探すようになったのも、この先生のおかげです。
この先生から、
- ラックビー:1g 朝昼夕 各食後
- ペンタサ:1000mg 朝昼夕 各食後
を服薬するようになりました。
前の病院で治療で服薬していたステロイドは、少しづつ減らし終了しました。
大学病院の外来の先生は、2年か3年周期くらいで変わります。
それが嫌な人もいるかもしれませんが、自分には合っていました。
合わない先生が担当になっても、長くても3年と思えば我慢できます。
仲良くなった先生と別れるのは寂しいですが、いろいろな人と話したい自分には、次はどんな先生かな?という楽しみもあります。
入院もしたことがあります。
外来担当と、入院で主治医が変わりますが、医局というチームで診てくださっているので、安心できます。
大学病院は自分に合っていた
予約時間がずれるとか、病院が大きすぎて移動が大変とか、不便なこともあります。
しかし、トータルで見た場合、自分に合っていました。
2000年3月から、体調が良い時は、月1回くらいのペースで通っています。
大変だった病院選び
自分が信頼できる病院を見つけるのは大変でした。
何事もなければ、ずっと最初の病院だったと思いますが、治療設備などはちょっと不安のある病院でした。
紹介していただいた病院は、設備も不安でしたし、専門性もちょっと疑問でした。
両病院とも、通いやすかったですが、手術となるとやっぱり不安かなと感じていました。
また、連携の病院は東京の大学病院だったので、最初から大学病院へ行ったほうが良いなと思いました。
ちょっと通うのが大変でも、東京の大学病院にしたのは、医師のレベルの高さ、IBDへの専門性、医療設備の充実でした。
家族は患者本人と話し合うのが大事
3つ病院へ通い、やっと自分に合う、信頼できる病院と巡り会えました。
かかりつけ病院を見つけるのは大変です。
病院の規模だけでなく、医師のレベル、専門性、連携の病院など、難病ともなれば気になる所はいくらでもあります。
ただし、長く通いますから、やっぱり自分に合うかは最重要です。
専門性が高くても、通わなくなってしまえば、意味はありません。
そこそこの病院でも、きちんと通えるなら、その方が良いと思います。
体調のデータが、カルテに有るかは重要です。
外出先で倒れた時に、搬送先の医師が、かかりつけ医に問い合わせできるなど、メリットはたくさんあります。
家族だけで決めるのではなく、きちんと患者本人と、通いたいと思える病院なのか、話し合ってください。
クローン病の経過を時系列まとめ
クローン病と診断されてから現在まで、治療や入院、生活の変化を経験してきました。
その経過を時系列でまとめていますので、必要な部分だけでもご覧ください。



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