診断までの経緯
当時は分からなかったですが、あの症状ってクローン病の初期症状だったのかな?と思うこともあります。
下記の症状があるからといって、炎症性腸疾患(IBD)とは限りません。
ただ、何度もその症状を繰り返したりした場合、きちんと病院へ行って下さい。
また、セカンドオピニオンも考えてみて下さい。
小さなクリニックではなく、総合病院を受診してみることをお勧めします。
高校生:1990年頃
1990年頃、16歳頃から下痢が増え始めました。
食も細くなり、同年代の半分くらいしか食べれなくなりました。
走ると、盲腸付近に強い痛みが出始めるようになりました。
何をしたら、何を食べたら、下痢をしていたか、詳しいことは覚えていません。
季節の変わり目、急激な気温の変化に弱かったのは覚えています。
右下腹部痛:1991年夏
17歳の夏、右下腹部、盲腸付近の痛みが激しくなり、うずくまってしまったので、総合病院を受診し検査しました。
レントゲンとエコー検査をした記憶があります。
検査結果は、盲腸でもなく、何も見つかりませんでした。
医師からは、痛くなる要素がない。学校行きたくないだけでは?と言われました。
とりあえず、過敏性腸症候群と診断されました。
数日間、様子を見たら痛みがマシになりました。
この時の医師の対応は、まさしく昭和前半生まれのおじさんの対応でした。
痛いわけがないだろう。という決めつけの対応で、今でも思い出すとムカつきます。
最近は、こういう医師はいないので、すごく安心できます。
しばらく症状無し
高校を卒業した頃から、腹痛や下痢はなくなりました。
症状が無くなった理由は、分かりません。
いろいろな理由があったと思いますが、これといったものは思いつきません。
就職後
就職した1996年は就職氷河期真っ只中でした。
仕事はシフト制で、月の半分は夜勤。パワハラも普通な時代でした。
それなりに人生を楽しんでいたけれど、理不尽なことも多く、ストレスは多い日々でした。
一人暮らしでしたが、高校生の時にお腹が弱かったこともあり、食生活には気をつけていました。
ジャンクフードや、ファストフード、コンビニ弁当はなるべく避け、定食屋へ行くか、作っていましたし、子供の頃から脂っこいものが苦手なので、揚げ物続きとかではなかったです。
飲酒は、月に1回くらいで、喫煙は、タール7mg、ニコチン0.6mgを1日に20本ほど吸っていました。
皮膚炎発症:1999年夏頃・25歳
次に体調を崩したのは、1999年25歳の夏頃。
顔から胸まで、肩から肘にかけてと、膝下の広範囲で、皮がガサガサで剥け、ただれたように赤くなって痛みもあり、皮膚科を受診しました。
その時は、原因不明の皮膚炎ということで、顔も含め患部に軟膏を染み込ませたガーゼを貼られ、ステロイドの塗り薬を処方されました。
また、患部が広範囲なので、1週間ほど仕事を休むように言われ、診断書を書いてもらい帰宅しました。
皮膚疾患以降、体調が良くなく、右下腹部の痛みや下痢の回数が増えました。
ステロイドが効き、1週間ほどで良くなりましたが、その後、足だけ何度も繰り返しました。
今思えばこの皮膚炎は、クローン病の皮膚疾患だったと思います。
下血:1999年11月中頃
1999年11月中頃、家で下血をしました。
赤い下血ではなく、黒い下血でした。量は多くありませんでしたが、右下腹部に痛みがありました。
少量だったこと、深夜だったこともあり、明日もお腹痛かったらと、そのまま寝てしまいました。
99年の10月頃に、2000年1月の給与計算期間の締め日で、退社することを上司に伝えており、その結果、11月から激務の部署に回され、移動先は馬の合わない前の部署の部長で、どうせ辞めるから、こき使う、何言っても良い、使い潰すといった対応でした。
そういったストレスが原因だったのですが、自分の対応も良くなく、有給消化までのあと2ヶ月の我慢と、病院にも行かずに自己判断したのが良くなかったです。
退職後、その部署の主任から、部長を止められ無くて申し訳なかったと謝罪がありました。
その部長は、その後イロイロな問題を起こし、その会社を退職させられました。
繰り返す下血と結節性紅斑:1999年11月下旬
11月中頃の下血から、10日間ほどたった11月25日頃、激しい腹痛でトイレに行ったところ、また黒い下血をしました。
下血後、腹痛は落ち着きますが、2日に1回は下血するようになっていましいた。
また、左足の脛に紫色のしこりのようなものが出来ました。
この頃に、飲酒時に転んでおり、それが原因だと思っていましたが、クローン病の皮膚疾患である、結節性紅斑でした。
この頃、退職後は一旦実家に帰り、大きな病院で検査を受けることに決めていました。
電車内で失神し救急搬送:1999年12月1日
12月1日、出社前の朝から不調で腹痛と下血をしていました。
この日、休むかすごく悩みましたが、有給が18日も残っており、あと14日間だけ出社すればよく、ここで有給を使うと出社が増えるのが嫌で、無理して出社しました。
ここでも、11月中頃と同じ間違いを犯しています。
自己判断せず、病院へ行くべきでした。
出社するも、腹痛は続き、貧血気味でフラフラでした。
その後、帰宅中に気持ち悪くなり駅のトイレで吐血しました。
その時に、あぁもう無理だなと思い、帰宅したら病院へ行く決心をしました。
電車に乗ったのは覚えていますが、その後倒れ、気がついたら病院でした。
通勤で使用している定期券が、12月1日までだったり、その前日に社員証を返却していたり、帰りの電車に乗る前に、携帯電話のバッテリーが0になったりと、何の因縁だったのだろうか。と今でも思います。
病院での朝:1999年12月2日
朝、電子音がうるさくて目が覚めました。
見たことのない、無機質な天井とカーテンに囲われたベッドでした。
あぁ、病院なんだなと思いましたが、電子音が自分に付けられた脈拍計だと気がつくのには、少し時間がかかりました。
両腕に点滴のルートが刺さっており、左手のルートには2本点滴が刺さっていました。
上半身を起こし、ボーッとしていたら、看護師さんが走ってきました。
脈拍計などをモニターしていたら、動きがあったので来てくれたそうです。
その後、当直の先生も来てお話をしましたが、結構危ない状態で搬送されたそうです。
自分的には、軽い貧血程度の感覚でしたが、重度の貧血だったそうです。
実家に入院したと、会社にも入院したので休むと、病院のエントランスの公衆電話で連絡をしました。
母は2時間掛けて病院へ来てくれましたが、学生の頃よりも痩せていて、廊下ですれ違っても気が付かず素通りされました。
病院での検査:12月3日から5日
血液検査、レントゲンなどをしましたが、詳しいことが分かりませんでした。
吐血をしていたので、胃カメラも行いましたが、異常は発見されず、ちょと荒れている部分がある程度でした。
若いと傷が治りやすく、分からないこともあると説明がありました。
下血は3日から止まっていました。
医師は、大腸内視鏡検査を行いたかったのですが、搬送された病院は工事中で設備がなく、ここを退院してから、別の病院で必ず受けるようにと説明がありました。
貧血も少し良くなり、診断書を受け取り、5日に退院となりました。
他の病院での検査を強く薦められていたこと、かなり痩せていたこともあり、両親からはすぐに実家に帰るように言われました。
会社に休職の手続きをし、実家に帰りました。
また搬送:1999年12月21日
重度の貧血だったので、鉄剤を飲んでいましたが、歩いたりするとフラフラすることもあり、しばらく実家で療養していました。
1999年は、1月から3月にかけてインフルエンザが大流行し、死亡者数が前年比を大幅に上回っており、1999年末も大流行していました。
体力が回復していないなか、病院の外来へ行ったら、インフルエンザに感染しそうだという思いが、家族含め自分にもあり、1月になったら精密検査に行く予定でした。
世の中が年末ムードの中、21日夜に体調を崩し、救急車で病院へ搬送されました。
検査な日々:1999年12月22日から
12月1日に搬送されていたこと、前の病院の診断書のコピーを見せ、11月からの症状を説明しました。
その日から、いろいろな検査が始まりました。
覚えているのは、血液検査、胃カメラ、大腸内視鏡、CTかMRI(もしくは両方)です。
数日掛けて検査が行われました。
クローン病の経過を時系列まとめ
クローン病と診断されてから現在まで、治療や入院、生活の変化を経験してきました。
その経過を時系列でまとめていますので、必要な部分だけでもご覧ください。




コメント